写真集 猪飼野
追憶の1960年代
チョジヒョン
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ISBN4-88400-031-5
新幹社 ¥2800-


《書評抜粋》

「大阪の鶴橋周辺といえば在日が多いコリアン・タウンとして知られる。ここは以前は「猪飼野(イカイノ)」と呼ばれていたが、1973年に地名変更でその名が消えた。
 チョジヒョン写真集『猪飼野─追憶の1960年代』(新幹社)は、1965年から1970年にかけての猪飼野での暮しをとらえている。・・・
 それでも氏は決して盗み撮りはしなかった。撮影の前に、一か月ほど路地を歩き、出会うすべてに挨拶し、親しくなってからはじめてカメラを向けたという。この写真集が温かいのは、その結果だろう。」
(川本三郎「見たり読んだり」『SAPIO』2003.7.9)

「大阪市生野区の鶴橋あたりは在日の多いコリアン・タウンとして知られる。このあたりは以前は「猪飼野」(イカイノ)と呼ばれていた。在日、とりわけ済州島から来た人が多く住むようになった。
 チョジヒョン氏は済州島生まれ。1948年10歳の時に日本に来てイカイノで育った。この写真集は氏が65年から70年にかけて撮影したいまは地図から消えた在日の町の写真をおさめている。すべてモノクロ。
 チョゴリ姿のお婆さん、平野川に浮かぶ木材、人でにぎわう市場。工業都市大阪を底辺で支えた人々の活気が伝わってくる。女性たちがよく働いている。横町でビー玉遊びや三輪車を楽しむ子どもたちの笑顔がほっとさせる。この町で育った写真家ならではの暖かさがある。(川)」
(「毎日新聞」2003年6月15日)

「・・・子どもたちの世界で何が起きているのかがよくわからない、いらだたしい日々である。
 そんな思いのなかで、このほど出版されたチョジヒョン写真集「写真集 猪飼野─追憶の1960年代」(新幹社)のページをめくる。在日韓国・朝鮮人が住みついた大阪市生野区の「猪飼野」という土地の生活風景を写している。
・・・白黒の陰影からはまぶたの裏の60年代の残像が浮かび上がってなつかしい。あのころはとにかく子どもが路地をうろちょろしていたな。
・・・半世紀の子どもの写真をかいま見ると、貧しかった時代は子どもも多く、しかし生き生きと希望を持っていたように思える。豊かになってからの子どもは数も少なく、しかも希望を見いだせずに苦しんでいる。」
(早野透「ポリティカにっぽん」『朝日新聞』2003年7月22日)

「・・・はるか以前から、〈猪飼野〉はイカイノすなわち、なくても、ある町だった。そのままでなくなっている町、けれどもある町、イカイノなのだ。
 「大阪の多くの日本人にとって、『猪飼野』はチョーセン町である。だから彼らは1973年、この町名を消した」。趙さんの記すように、〈猪飼野〉を抹消し、そのままのままでなくなっている町に向けられる、「チョーセンの多いとこやな」と言う人びとの言葉が、なくても、ある町イカイノの実存を物語る。“コリアタウン”と呼ばれるようになった今から追憶してさえも、この写真集が永遠にとどめるのは、なくても、ある町すなわちこの、なくなっている町の相貌である。」
(『図書新聞』2003年11月15日)


●そのほか本書の紹介記事掲載紙一覧●
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徳島新聞 2003.5.14
京都新聞 2003.5.15
朝日新聞(夕刊) 2003.5.16
統一日報 2003.5.21/5.28
神戸新聞 2003.5.21
民団新聞 2003.5.21
島根日日新聞 2003.5.22
八重山毎日新聞 2003.5.25
北海道新聞 2003.5.25
読売新聞(夕刊) 2003.5.26
コリアニュース 2003.5.30
北日本新聞 2003.6.7
十勝毎日新聞 2003.6.7
岐阜新聞(夕刊) 2003.6.10
信濃毎日新聞(夕刊) 2003.6.13
朝鮮新報 2003.6.13/7.2
東京新聞 2003.6.29
西日本新聞 2003.6.29
産経新聞 2003.6.14
民族時報 2003.7.11
朝鮮新報 2003.7.14
東洋経済日報 2003.8.15
共同新聞 2003.8.20
アプロ21 Vol.7/No.5 2003.5
週刊読書人 2003.5.30
月刊オルタ 2003.6
セヌリNo.61 2003.7
ふぇみん 2003.7.5
正論 2003.11
月刊セセデVol.509

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