2014.10.08 up 



NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー10
名古屋から吹く地方出版の風
風媒社(代表 稲垣喜代志氏)


 風媒社は一九六三年創業、今年で五一年目を迎えます。創業者である稲垣喜代志氏は一九三三年愛知県刈谷市生まれ。大学卒業後、一九五八年から六二年末まで日本読書新聞に勤めたあと、一九六三年に名古屋の地で風媒社を創業しました。その出版活動は、名古屋を中心として愛知・岐阜・三重の東海地域に根ざしながらも、中央に通底するような普遍性を併せもっています。二〇一一年に会長に退いた現在も、編集者でありライターでもあるNRの最長老に話を聞きました。


――いつのまにか劣等生に
 終戦当時は小学六年でした。農家の一人息子で、元軍人の父は「うちぐらい貧乏で、中学に行かせる家があるか」と旧制中学進学に反対しました。教師の説得で農林学校に進学するも、朝三時に起きて家の仕事を手伝い、農繁期は平日はもちろん、中間試験も学校を休むという生活でいつのまにか劣等生に。それでも、幼い頃の成績を覚えていた大叔父の誤解による支援を得て家出同然で受験、私立の法政大にやっと入りました。

――だんだんと政治青年へ
 文学部に入りましたが、三年次から法学部に転部しました。当時の法政大は本当にいい先生が揃っていて、政治学の藤田省三、松下圭一がいて、学部長は中村哲でした。学生運動とアルバイトで過ぎてしまったと、研究者を目指しもう一度勉強をやり直すために働きながら大学院に入ろうとしましたが、当時は朝鮮戦争後の不景気、美作太郎さんの紹介で、なんとか小出版社の学生社の雑誌編集部に入りました。

――六〇年安保当時の日本読書新聞
 二年半ほど勤めた後、日本読書新聞に移りました。当時の編集長の巌浩氏は、何度企画を出しても通らない、厳しいデスクでした。ほかにも、後に日本エディタースクールを創業する吉田公彦、作家・評論家になる渡辺京二もいました。詩人・作家の三木卓は、彼の兄とは友人で、すでに『現代詩』の新人賞を取っていたこともあって読書新聞に引っ張りました。故郷の刈谷に近い名古屋で、これまで身に付けた経験を活かして仕事を始めたいと一人で風媒社を立ち上げたのは安保闘争後の六三年でした。

――名古屋は文化不毛の地?
 当時、名古屋は「文化不毛の地」と揶揄されていました。戦時中から日本一の軍需工場を抱える工業都市でしたから工場労働者が多かった。三菱重工やトヨタをはじめとした、言うならばブルーカラーの町だった。朝早く起きて仕事場に駆けつけ、身体を使って一生懸命に働き、夕方帰ってきて早く寝る。盛り場もそんなに遅くまではやっていない、八時頃になると店を閉めるところもあった。もう一つの理由は、大学、学校が少なかったことでしょう。旧帝大である名古屋大学がありましたが、名大には戦前、医学部と理工学部しかなかった。あとは名古屋経済専門学校、名古屋工業大学などの理系の大学と、私立の金城学院など女子校でした。

――地方出版の困難と自負
 現在も出版社の八〇%以上が首都圏に集中し、地方の出版社の本も一度東京の取次店に送られて、そこから全国の書店に配本される仕組みになっています。名古屋市内の本屋にも東京を経由して入ってくるので、二重の手間と時間がかかります。流通でも著者との関係でも圧倒的に不利な条件でしたが、名古屋で出版をやろうと決めたとき、地域に根ざし、地域に埋もれた人を発掘して世に出そうと思いました。例外はありますが、基本的には、すでにデビューして出来上がっている人には書いてもらわない。埋もれたもののなかにキラリと光るものがある。

――地方から中央へ、反原発の本の数々
 原子核物理学者の瀬尾健さんの『原発事故……、その時、あなたは!』は日本全国の原発が故障したときにどれだけの被害が広がるかシミュレーションしたものです。九五年の刊行直前に瀬尾さんはガンで亡くなり、その原稿の補遺を小出裕章さんが担ってくれました。小出さんとは3・11後、原発銀座と呼ばれる若狭湾を抱える福井県小浜市の僧侶・中嶌哲演さんとの対談による『いのちか原発か』(二〇一二年)を、小出さんの分刻みのスケジュールの合間をぬって収録しました。元滋賀県知事・嘉田由紀子さんの本『知事は何ができるのか』(二〇一二年)は、東海〜関西地区だけではなく、全国的に反応がありました。しかし、本の種類は多彩です。


――後進に受け継いでいってほしいこと
 いまと僕らの頃とは違いますからね。若い人は若い人なりにやると思いますから、こういうのがあるよとなかなか言えないところもありますが、時代がどんな方向に変わっても大事にしなきゃならないことがありますね。苦しかった時代に応援してくれた人がいました。著者はもちろんですが、出版を支えてくださった人たちへの「恩義」を大切にしたいと思っています。そして、名古屋には「ちくさ正文館」という人文書の店があることが誇りです。



9月上旬に風媒社を訪ねて名古屋に行ってきました。初めてお会いする稲垣さんの、80年という年月を駆け足でうかがいましたが、そのお話は戦後の出版の歴史に重なる貴重なエピソードばかりでした。ちくさ正文館の古田さんや名古屋市内の書店員さんにもお会いでき、各地でNRの書籍を置いてくださっていることを本当に有り難く思いました。
9月で小泉はNRを卒業し、10月から産休・育休を取得していた天摩が復帰します。1年間お世話になりました。またどこかでお会いしましょう。(事務局・小泉)

(「NR出版会新刊重版情報」2014年10月号掲載)

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