2014.03.23 up 



NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー5
右足を上げたら下ろす場所が決まっていた
新泉社(代表 石垣雅設氏)

 新泉社の創業は一九六八年。NRを立ち上げた中心的人物でもある小汀(おばま)良久氏によって設立されました。一九九九年に創業者の小汀氏が亡くなったあと、新泉社を発売元としていた野草社の石垣雅設(まさのぶ)氏が経営を引き継いでいます。


――なぜ新泉社を引き継いだのですか?

 小汀さんには、私が野草社を立ち上げた際、設立発起人の一人として名を連ねていただき、発売元を引き受けていただきました。一九七八年に野草社を立ち上げて東京で五年を過ごしたあと、奈良で五年、青森の弘前で三年、京都の綾部で三年、そして静岡の袋井を拠点として十九年になります。こうして旅をしながら出版活動を続けられたのは小汀さんのおかげだとずっと感謝していました。

――NRにいると小汀さんのお名前を何度もうかがいます。どのような方だったのでしょうか。

 小汀さんは、未來社の営業部長を務め、一九六三年のぺりかん社設立を経て、一九六八年に新泉社を創業しました。小汀さんは著書『出版戦争』(一九七七年・東京経済)のなかで「第一に出したい本を出す。第二は残さねばならない本を出す。第三はどこからも出ない本を出す。」と書かれていますが、この言葉はNRに関わった人なら知っているでしょう。初めて小汀さんにお会いしたのは、私がせりか書房にいた頃、NRの会が発足して一〜二年目の頃でした(NR結成は一九六九年、せりか書房は結成時からNRに参加)。私のようにあとから出版に参入してきた者にも、本当に分け隔てなく、親身にお世話をしてくれました。小汀さんは小・零細出版社の相互扶助を願って、NRの会(のちにNR出版協同組合)や出版流通対策協議会(現在は日本出版者協議会)の設立、運営に大きなエネルギーを注ぎ続けていました。

――野草社は、自然の流れに沿った生き方、社会のあり方を求めて設立されました。 

 自然の中から生まれてきた私達が自然からどんどん離れていく。動植物はもちろん人間自身をも滅ぼしてしまうかもしれない。その困難を克服して存在するすべての人、すべてのものが幸せになるための気づきを深めたい、そんな思いでしょうか。読者と共有したその思いが、『80年代』や『自然生活』という小さな雑誌を十八年間支えてくれました。単行本では、川口由一さんの『妙なる畑に立ちて』、広瀬隆さんの『原子力発電とは何か』、自然の流れにそった生き方を実践する人々のメッセージ集『もうひとつの日本地図』なども大切な仕事でした。そして、屋久島の森に住みアニミズムに新しい生命を与えた山尾三省(さんせい)さんの仕事、奈良で大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)という場を創った矢追日聖(やおいにっしょう)さんの仕事は、私の人生の宝物だと思っています。

――引き継いだ当時、新泉社の経営状況はきわめて厳しかったと聞きます。それでも引き受けたのはなぜでしょうか。

 正直に話しますと、これは私の意志だけで引き受けたのとは違うんですね。小汀さんには二度目の入院の前に「あとは頼む」と言われましたけど、経済的な条件から考えて、私には無理だと思っていました。それが、小汀さんが亡くなられた日から毎日のように思いもかけない出来事が続くんですね。人生の中で一度あるかないかということが連続するんですから、右足を上げたら下ろす場所が決まっていたというか、選択の余地はなかったですよ。最後は天を仰いで恃むような気持ちでした。本当にたくさんの人に助けてもらいました。瞬時になくなっていたかもしれない出版社が、こうして継続して、現在年間30点ほどの書籍を刊行し、二〇一一年には、シリーズ「遺跡を学ぶ」で毎日出版文化賞をいただくこともできました。出版社本来の役目という意味ではまだまだでしょうが、十四年続けてこられて良かったと思っています。小汀さんが私たちを育ててくださったように、出版を志す若い人たちに分け隔てなく接することができれば、私の役目も少しは果たせるかもしれません。



石垣さんは飄々としていて、それでいて相手を見抜くような目をしておられます。普段は静岡にいらしてたまにしかお会いできないので、ゆっくりお話をする機会がなかったのですが、新泉社を引き受けたのにはこんな経緯があったとは。「出版社というのは舞台だから、それを残すことをしたい」という言葉が印象に残っています。(事務局・小泉)

(「NR出版会新刊重版情報」2014年2月号掲載)

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