NR出版会連載企画 本を届ける仕事41
奈良を「本の街」に
白石徳浩さん(Book Cafe 川べり/奈良県奈良市)
つい先頃までいわゆる「一人出版社」だった奈良の専門書出版社の社長が「奈良を『本の街』に」などと大風呂敷を広げた。周りの者は「また始まった……」っと、半ば呆れ顔である。名の知れた大出版社が出版文化の中心地・東京で、あるいは大阪や名古屋などの大都市圏でならまだ理解が追いつく。しかし、年間発刊点数が十点になるかならぬか、一日にバス数本通るか通らぬかの山奥にある零細出版社の社長が「奈良を『本の街』に」である。いわゆる「活字離れ」、実態に即して言うと「紙の本離れ」に象徴される出版不況のことは身に染みて分かっているはずなのに、懲りない「オッさん」である。まるで「鈍…」、否、ドン・キホーテである。
でっ、奈良を「本の街」にするには何から始めればよいのか。しかし、当たり前だが、そう簡単に妙案は浮かんでこない。そうだ、まずはサンチョ・パンサを探そう。立場はドン・キホーテの従僕だが、夢見心地のご主人様より時に冷静に問題解決に挑む。どこかにドン・キホーテを手助けしてくれるサンチョ・パンサはいないか? 途方に暮れていると、そこは世の中よくできたもので、ちょうど身近にうってつけの人物がいた。約四十年、美術書を中心に、これまた専門書畑を歩み続け、先ごろ定年を迎えたのを機に第一線を退いた元編集者の「オバはん」である。性格は一言で言えば「冷静沈着」、見方を換えれば「臆病」、サンチョ・パンサそのものではないか。思い込んだら暴走しがちのドン・キホーテの相棒としては最適である。加えて、どことなくサンチョ・パンサを彷彿させる風貌でもある、とはもちろん口が裂けても言えない。
さて、ここからドン・キホーテとサンチョ・パンサよろしく、妙に元気なオッさんとオバはんの冒険譚の始まりであるが、侃々諤々の議論の末に出てきたものが「ブック・カフェ」。凡庸である。本屋さんがカフェを併設したり、あるいはそこで雑貨類も販売したり、などという話は街のあちこちでよく聞かれるが、それらは、減り続ける本の売上を補うという意味合いが大きく(もちろん、それを否定できないし,するつもりもない)、「奈良を『本の街』に」という思いとはズレる部分が小さくなかった。しかし、それでも「ブック・カフェ」に落ち着いた。否、それしか選択肢がなかったと言った方が正確かも知れない。「本の街」にするには本を継続して読者にお届けすることが不可欠であり、そのためには「業」として成立させねばならないからである。そして紆余曲折の末、それを形にしたものが「Book Cafe 川べり」。古より和歌などで詠われてきた佐保川の畔、独立系のユニークな本屋さんやブック・カフェが点在する通称「きたまち」と呼ばれるエリアの一角。さあ、これで器は決まった。あとは中身、すなわち本の品揃えである。
「マンガ学」なる名称は今でこそ人口に膾炙しているが、一昔前までは「マンガ」を研究対象として扱うこと自体にすら違和感があった。実は、その学問分野を編集者として地道に開拓してきたのが、他ならぬサンチョ・パンサである。彼女の弁によると、昨今のマンガの中には、専門研究者の監修だったりチェックを受けたものが少なくなく、それらを通して専門知識を得ることもできるものも多いのだとのこと。一方、四十年余のあいだ主に哲学・思想書の編集に携わってきた(いる)ドン・キホーテは、知れば必ずハマるであろう思想の深みあたりをウロウロしたまま前に進めないでいる読者が多いことに、内心忸怩たる思いを持ち続けていた。これで「Book Cafe 川べり」の中身は決まりである。マンガを入り口に、哲学・思想関連の手引書・入門書から、そして専門書へと関心を広げ深めてもらおう。思惑通りにことはそう上手く運ばないかも知れないが、とまれ、「本の街」への糸口となりそうなことは躊躇せずに実践することにした。
そんなこんなで、本年四月六日に「Book Cafe 川べり」は開店に漕ぎ着けた。以来約四カ月は、オープン直後のドタバタ、そして一息吐く暇もなく品揃えを見直したり、長年親交を深めてきた著者たちの助けも借りながら読書会を企画・開催したり、より多くの人に来店してもらおうと悪戦苦闘の毎日である。と同時に、出版界を逆の方向―それまでの「出版社―取次―書店」ではなく「書店―取次―出版社」―から見渡し、様々なことに気づかされた。別言すると、出版社(者)と書店主という二足の草鞋を履くことで、「紙の本ばなれ」のこの状況から抜け出し、出版界の新たなあり方を創り出すためには、やはり真っ先に出版社が身を切らなければならないということを痛感した。流通の川上に位置し、定価・発刊部数を決定する権利を有し、実質的に卸正味率を差配する出版社……。暴論・極論であることを承知の上で言えば、取次・書店は疲弊しきっており、自らの人的・金銭的な資源を変革のために充てる余力があるのは唯一出版社だけである。もちろん、出版社の多くが前年の売上を確保するのにも四苦八苦しており、加えて規模の大小、出版分野、そして経営状態は各社様々なので「出版社」と一括りにすることに異論もあろうが、それらを踏まえてもなお出版社が総出で知恵を出し合い、改革に取り組まなければ、丹精込めてつくった本を読者にお届けする手立てさえ失いかねない。状況は待ったナシである。
四半世紀前、白石さんが人文書専門出版社の萌(きざす)書房をお一人で立ち上げられた時、京都の醍醐書房の同僚であられたサンチョ・パンサ氏のご紹介で、当時私が勤務していた京都市内の書店にご挨拶にいらっしゃいました。その年に私は新泉社に転職して東京に移りましたが、自分の故郷の奈良でこつこつと哲学思想書を出版している萌書房のことは常に気になっていました。その白石さんがブックカフェを開店されるとの報に大変驚き、早速お店に押しかけてきました。佐保川の畔を歩く鹿を眺めながら読書が楽しめる素敵な空間です。(新泉社・安喜)
(「NR出版会新刊重版情報」2025年10・11月号掲載)