NR出版会連載企画 本を届ける仕事39
これからも、地域の本屋であれるよう
児玉真也さん(長崎書店/熊本県熊本市)
長崎書店と長崎次郎書店は、どちらも熊本市にあって創業百年を超える、長ア家がルーツの本屋だ。私は二店舗に日替わりで勤務してきたが、長崎次郎書店の方が二〇二四年六月いっぱいで休業した。「閉店」ではなく「休業」としたのは、もちろん再開する可能性を見越してのことである。両店の成り立ちとともに、少し説明させてもらいたいと思う。
長ア家は、一八〇〇年初め頃、細川家の指物師(家具職人)として京都から熊本へとやって来たという。その次男、長ア次郎が一八七四(明治七)年、熊本市新町に創業したのが長崎次郎書店だった。十五年後、長ア茂平(叔父・長ア次郎の養子)が十八歳で熊本市上通町に長崎次郎書店支店を開設。こちらが現在の長崎書店の起源となる。
ところで森?外は『小倉日記』の中で、一八九九(明治三十二)年九月に「帰途新二丁目なる書肆の主人長崎次郎を訪ふ」と記している。また、『星の王子さま』の最初の邦訳者である内藤濯は、一八八三(明治十六)年に新町で生まれ育っているから、きっと関わりがあったことだろう。かつて熊本に暮らした夏目漱石や小泉八雲も訪れただろうか。文豪ゆかりの地で営んできた書店である。
時は流れ一九七〇(昭和四十五)年、長崎次郎書店と長崎書店は経営分離している。現在はそれぞれ、長崎次郎株式会社と株式会社長崎書店が正式な社名である。近年の長崎次郎書店は、政府刊行物・官報などの専門書のみを扱う専門書店として営業していた。そのため私にとっては、そのレトロモダンな外観(明治大正期のスター建築家、保岡勝也による設計で、国登録有形文化財に指定されている)を知るばかりで、店内は一度も見たことがなく、この頃はまだまったく縁のない書店だった。縁があったのは長崎書店の方で、私は二〇一〇年に入社している。
そんな長崎次郎書店が二〇一三年、やむを得ない事情で休業することになった。親戚筋にあたる二社の間では、この時度重なる話し合いの場が持たれ、結果、「暖簾を守り継ごう」ということで意見が一致。そして翌二〇一四年、建物の管理者である長崎次郎株式会社が二階に喫茶室を新規開店し、一階の書店部分は、長崎書店が『長崎次郎書店』の屋号を引き継ぐ形でリニューアルオープンしたのだった。
再開店に当たって私たちは、熊本市民の方、とりわけ新町とその周辺にお住まいの方にとってまずは便利で入りやすい本屋であり、同時にまた老舗として、奥が深く質が高い本屋づくりを目指した。そして十年間、それは変わらぬモットーであった。四十坪の店内に、雑誌やコミックから芸術書や人文書まで揃え、話題書やベストセラーはもちろん、ニーズを鑑みながら、専門性や周縁性の高い本でも積極的に織り交ぜていった。ご来店くださった方たちが、ここでしか感じられない楽しさや面白さを見つけてもらえる店をつくるための、最後まで試行錯誤の日々だったと思う。今回休業に至った主な理由のひとつが、紙の出版物の売上低迷とともに、キャッシュレス決済の手数料など店舗運営の諸経費の増加傾向が続いており、今後も上がると見込まれるからだった。専用駐車場が無く、立地の面での微妙なアクセスの悪さも欠点で、店づくりしだいでそれは補えると信じてやってきたが、客足を伸ばすのはやはり容易なことではなかった。
今後私たちが長崎次郎書店の運営に直接的に関わることはないだろう。三度目の再開店は、私たちではなく、別の個人または法人によることになる。今回の休業はつまり、少なくとも私にとっては「閉店」と同義であり、悔しく、申し訳ない出来事であった。これまで支えて下さった全ての方に感謝を申し上げたい。
休業後、弊社社長の長ア健一は、書店が加盟する業界団体に対し、国の支援策を求める提言書を提出するなど、書店の持続可能性が少しでも高まるよう動いたりもしている。書店にとって厳しい時代が訪れていることを肌身で感じるが、これからも地域の方にとって役立つ本屋であれるよう、私も考え、働きたいと思っている。
児玉さんには、休業の後処理が残るさなかに執筆いただきました。2016年4月に熊本地震が起こり、「熊本の地で書店員であるということ」(単行本『書店員の仕事』に収録)を新刊重版情報に掲載させていただいたのが同年11月、水俣病公式確認60年の節目の年でもありました。「小さな、しかし確かな支えの力となれるような店づくりを」と綴る児玉さんの言葉が響きます。 (事務局・天摩)
(「NR出版会新刊重版情報」2025年3・4月号掲載)