2024.1.23 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事33
 やりたいことは、山ほどある
古田一晴さん(ちくさ正文館書店/愛知県名古屋市


 名古屋市千種区にあるちくさ正文館書店は、一九六一年の開店以来、六〇年あまり名古屋文化の中心として愛されてきた老舗書店です。七四年に学生アルバイトとして入社された古田一晴さんは、その三年後に正社員となり、その後、長年にわたり店長を勤めてこられました。 独自の目利きによって構成された、人文や文芸、芸術書などの特徴ある棚は、たくさんの読者を魅了してきました。


 ちくさ正文館が七月いっぱいで閉店するという知らせが届いたのは、五月末の夕方でした。居ても立ってもいられなくなってお店に電話をかけると、いつもの調子で古田さんが、「おー、どうした」と出られました。「今日は版元さんがたくさん来てくれて、電話ももらったよ」という声に、ほころんだ顔が目に浮かびました。


 一九九九年の初夏、NR出版会の三〇周年を記念し、加盟社の社長たちは古田さんを講師にお招きして、愛知県知多半島で合宿勉強会を行いました。インパクト出版会に大切に保管されている当時の写真には、四〇〜五〇代だった古田さんと社長たちの笑い声が今にも聞こえてきそうな、いきいきとした姿が写っています。

 古田さんにはその勉強会での講演のことを、一〇年後の二〇〇九年一一月の新刊重版情報の一面特集「書店の店頭から」にご寄稿いただきました(単行本『書店員の仕事』に収録)。

 書店独自のブックフェアが減り、検索やデータに頼って接客を疎かにするケースを問題視していること、書店人を育てることの苦悩も書かれています。そして、一九七七年の新泉社の図書目録を手に取りながら、ちくさ正文館は中部地区で唯一「ほぼ全点在庫」と書かれてある、自分が勤める以前からあたりまえのように引き継がれてきたこと、経験を、今の若い人たちと同じ目線で共有していけるだろうか、と綴られています。

 古田さんは今でも、出版社の図書目録や資料などを真空パックのようにして大事に保管しているそうです。「七〇年代なんて、僕にとってはついこの間のことみたいだよ」と笑う古田さん。図書目録は一冊だけでは足りなくて、何年分も蓄積しておいて読むことが大事だとおっしゃっていました。 


 閉店の四日前に訪れたちくさ正文館の棚や平台は、いつもと変わらずにぎやかでした。名古屋の風媒社には、今出荷して閉店までに店頭に並ぶか心配になるくらいギリギリのタイミングでも本の追加注文が来ていたとのこと。平日の昼間にもかかわらず、常連とみられる多くのお客さんが棚の前で熱心に本を選ぶ姿からは、ちくさ正文館で過ごす時間が名残惜しいというように感じられました。

 古田さんにお声がけする機会をうかがいながら、新刊の情報に加え、演劇や映画のポスター、全国の展覧会のフライヤーが整然と貼られている壁面の掲示を眺めていると、同行していた風媒社の山口章社長が、「この掲示はいつも古田さんご自身が貼り替えるんです。絶対に誰にも触らせないんですよ」と教えてくれました。

 社長の谷口正和さんは、「閉店を迎える週末には、レジをもう一つ増やしてお客さんをお迎えしたい」と目を細めていらっしゃいました。

 その日の午後、山口さんに案内してもらって名古屋市内の書店を訪ね、古田さんを慕う書店員の方々とお会いしました。古田さんの言葉の端々からも、書店の枠を超えて、名古屋の書店員をいつも気にかけ、励まし支えていらっしゃること、その関係はこれからも続いていくという思いが伝わりました。

 閉店からひと月半ほどたった九月中旬の夕方、しばらくは片づけでお店にいらっしゃるとお聞きしていたので、電話をかけてみました。「家の引っ越しを二、三回くらいしたような気分だ」と苦笑いしながら、「でも、もうだいぶ片づいたよ」とおっしゃいました。五月末の電話口で、「本屋が残るには厳しい時代になった。でも、本は残るのだから、NR加盟社のみなさんはこれからも、残るいい本を作ってよね」と聞いたときよりも、晴れ晴れとした声に聞こえました。

  「隠居する気はさらさらない。やりたいことは、山ほどある」とおっしゃる古田さん。これからも名古屋文化のさまざまなシーンで、ますますご活躍されることを楽しみにしています。(報告:NR事務局 天摩)



特色ある棚づくりのことを尋ねると、古田さんは「本を並べているだけだよ」とおっしゃられますが、他店ではなかなか動かないような本がちくさ正文館では売れる、そんな仕掛けが随所にありました。朝日新聞名古屋本社版でしか読めなかった古田さんと風媒社編集長・劉永fさんの人気リレーコラムが収録された『本の虫 二人抄』(ゆいぽおと)が待望の刊行です!(事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2023年11・12月号掲載)

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