2022.09.02 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事27
 二項対立をずらし、「応答可能性」を探る
磯前大地さん(くまざわ書店八王子店/東京都八王子市


 人文系出版社の営業職から書店勤めへと仕事を変えておよそ七年。気がつけば、少なくない時間が過ぎていました。担当をしているのは、人文社会科学を含む専門書全般に加えて店頭をつくるための新刊・話題書と、多岐にわたります。とはいえ、研修期間のコミックを経て、入社当初に与えられたジャンルは、人文、法律経済、教育保育、就職資格と限られたものでした。転職をしたばかりで右も左も分からないながら少しずつ経験を重ね、また担当分野も理工、コンピューター、医学看護、文芸、ビジネス……と広がってゆくなかで、次第にそれぞれの分野・本において共通するものやちがいが見えてくるようになりました。

 少し哲学めいた言い方をするのであれば、それは、各分野の「かたち」とでもいえるものです。例えば、売り方について、一見するとかけ離れた分野であるように思えるガチガチの理工書と保育の実務書には、似たようなところがあります。それは、これらにおいては日々新刊が発売される一方、昔から信頼がおけるものとして読み継がれてきた定番書が売り上げの大きなシェアを占めており、前者の物量に流されて後者を棚から外してしまうと、同時に読者の目線からも外れてしまう、という点です。そのため、いかに定番書を踏ん張って主軸として残しつつ、注目の新刊も目に入るように展開していくかが問われることになります。これはまた、異なるジャンルに共通の「かたち」を見出すという意味では、人文書においても同様です。一例として、量子論や生物学の本が従来の常識を疑うものとして、銘柄によっては哲学の本と並べての陳列も可能であることが挙げられるでしょう。
 
 このように、売り方に限らずそれぞれの分野には思わぬ「かたち」の共通点があり、そのことを意識しながら仕事をしてくることができたのは、とてもありがたいことでした。それは、私たちがつい二項対立的にものごとをとらえてしまい、ともすればネガティブな感情をもって仕事に臨んでしまうような事態をずらしてゆけることの萌芽が、日常の中に――私たちの仕事の中にこそあることをしっかりと感じさせてくれています。
 
 さて、インターネットの普及とともにSNSが当たり前の発信ツールとなるなかで、近年、教養書/エンタメ本というように、あたかもどちらかに優位性があるかのような、個人の顔が見えてこない対立関係を目にすることが増えてきました。これは、先の一見ちがうようにみえて実は共通点がある、あるいは相互補完的であるという考え方からすれば、実はもう少し前向きな見方ができるのかもしれません。
 
 日本の有名な哲学者に鶴見俊輔さんという方がいます。鶴見さんは、若いころにハーバード大学でプラグマティズム(実用主義)という硬い学問を教わった一方で漫画をこよなく愛し、それを「総合芸術」ととらえた人としても知られています。つまり、私たちのような民衆の世界――従来の学問の問題設定からは零れ落ちるような日常の世界をまなざし、考えることこそを実用主義としたのです。ここだけを見れば、漫画のほうが偉そうな学問よりも評価されるのかと思われるかもしれません。しかし面白いのは、鶴見さんが『期待と回想』というインタビュー集のなかで、「読書人」とは漫画と教養書の両方を読んでいる人だ、という趣旨のことを述べていることです。それは、どちらかの分野に優位性を与えるのではなく、それぞれがお互いの世界を広げてくれるもの、補完してくれるものとしてとらえうるということでしょう。

 ここで、あらためて教養書/エンタメ本という問題設定を例に考えてみましょう。鶴見さんの話からすると、この対立的な設定はあまり有効でないのかもしれません。あるいは、もともと対立関係にないようにも思えます。大切なことは、自分のネガティブな感情に引きつけた二項対立に囚われてどちらかに優位性を見出すのではなく、むしろそうした対立関係をずらしてゆくことではないでしょうか。実際に専門書を読んでみれば、漫画の読み方も背後にある社会問題などがみえるようになり、従来よりも解釈の広がったものとして変わってきます。一方、漫画のような感性に訴えるものに多く触れなければ、専門書における議論は言葉が先行したものとして単に上滑りしてしまいがちです。

 それを踏まえるならば、私たちが日頃従事している作業や分野もまた、仮想の対立項をつくって優劣をつけるようなものではなく、領域横断的なものであると自信をもって臨むことができるのではないでしょうか。フロア担当者が長時間レジに入り読者と接すれば、売場への関わり方や見方が変わるように。あるいは、マネジメントをつきつめていけば、不可避的に売場づくりと売り上げの向上に目が向くように。自分と他者の仕事を比べて後ろ向きにとらえる必要はありません。私自身、自分とさまざまな仕事との距離に悩むこともしばしばです。それでも、この日常を限りなく枝分かれしながらもどこかで繋がるようなものとしてとらえ、臨んでゆきたいと思っています。そして同時に、これからもまだ関わったことのない本やコンテンツに触れることで、さまざまな場面で生じる対立設定をずらし、仕事を通じた「応答可能性」を探ってゆくつもりです。



ご自身で発案されるフェア企画に加え、NR加盟社も参加している「平和の棚の会」のフェアにも、常に問題意識をもって積極的に取り組まれている磯前さん。ポスト構造主義の哲学のなかでもとりわけジャック・デリダから影響を受けているということで、原稿のやりとりをしている間、豊富な知識と懇切丁寧な解説で、哲学の世界へと誘ってくださいました。(事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2022年9・10月号掲載)

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