2022.07.03 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事26
 翔べ心、本はその翼だ −JRC後藤克寛さんを偲んで−
栗原哲也さん(日本経済評論社会長


 「売れない」「何かうまい話はないか」といくらボやいても、売れたりうまい話は転がりこんでは来ないのに、まるであいさつでもするかのように口にする。神田神保町はそんな書店や出版人の棲息する右肩下がりの街だ。元書店が回転寿司屋になったり大学の東京出張所に変わったりして減る一方だ。出版社三五〇〇社のうち上位一〇〇社で書籍売上の六五%を占める寡占状態で、書店においてもその構造に大差はない。それでも、弱小であればこそわれらは今日も生き続ける。
 

 二〇〇一年の暮、小出版と小取次の密集する神田村には冷たい北風が吹き抜けていた。柳原書店や北隆館、笠原書店など小取次の閉業倒産に続いて、人文社会系専門取次の鈴木書店が破産宣告を受け、取引のある出版社は売掛金の回収不能が予見されたからだ。
 
 鈴木書店の創業者鈴木真一さんは、栗田書店に入社し戦争から帰って一九四七年に取次店を創業する。学問をしなければまた戦争を支持する国民を育ててしまうという信念から、岩波書店の学術本を売ることを経営の軸とした。取引先には大学生協と老舗書店を選んだ。主要取引出版社は岩波のほかには白水社、未來社、みすず書房等々である。本を読まなきゃまた国家にだまされる、国民はそう自覚し本がたくさん読まれた時代、青年学生が高価な本を読んだ時代だった。鈴木書店の経営は順調に発展した。取引出版社は数百社、社員も八〇名ほどになっていった。
 
 創業から五〇年以上経った。読者が変わったというより、出版社のつくる本が変わった。安くて薄い、読み捨てるような本を作るようになったのだ。大学生協に『少年ジャンプ』が置かれたこともあったくらいだ。いくら運んでも金にならない。知をリードすべき出版社が利を重視する軽薄に堕していったのだ。鈴木書店の本来扱うべき本が激減した。
 
 鈴木書店の倒産は情報化時代の帰結だなどとボけたことを言うつもりはない。取次は本を作るのが仕事ではない。目方のある、持てば腰の痛くなる実物を流通させるのが仕事だ。鈴木書店の倒産は、出版する側が犯人を特定しないまま集団いじめで締め殺したようなものだ。


 後藤克寛さんは、鈴木書店労組の幹部でもあった。経営の苦境は早くから気づいていたが、会社の行く末をどうにかできる立場ではなく、閉業を受認せざるを得なかった。本が好きで入社した多くの仲間たちと明日の生き方を思案した。本に拘わってどう生きていくか。これがテーマだ。仲間と確認したのは鈴木書店の弱点を克服し、長所をどう伸ばして行くかだった。

 二〇〇三年二月某日、論創社の森下社長を含む何人かの弱小出版の親爺どもが後藤さんを囲んでいた。「仲間七人と人文科学書の専門取次を興す。社名は人文・社会科学書流通センター(JRC)だ」。場所は神保町の飲み屋「なかや」の一室。後藤さんの決断を聞いた。そこで語られたことは「取次はただの本の運び屋ではない。出版社が作ったものを黙って書店に届けるのではなく、その本はどんな編集者によって、何が伝えたくて拵えたのか、それを伝えなければならない。出来たての本は赤児だ。一人では歩けない。一人歩きできるまで取次と書店員が保育しなければならない」

 後藤さんはさらに続けた。「つまらん本を作った出版社にも意見できるような取次にならなければならない。編集者は企画のために時間を使え。そのために書店営業などは極力減らし、思索の時間をつくれ。営業は俺たちにまかせろ」「人手がなかったら営業部門は丸ごとまかせろ」(一手販売)

 後藤さんは、出版社はためになるいい本を作れ、ほかのことに時間を使うな、本に生命を吹き込み読者に向き合え、営業のことはわれらにまかせろ、と言っているのだった。営業力不足を感じているわれわれは感動した。


 後藤克寛さんは五月一八日に亡くなりました。七三歳。後藤さんが心血を注いだJRCはまもなく二〇年を迎えます。NR出版会の会員社をはじめ弱小出版を温かく見守っていただきました。この間お世話になった数々のこと、お礼を申し上げるいとまもありませんでしたが、そちらでゆっくりしてください。あの優しい笑顔を思いだしています。


後藤さんの足跡を、JRCと鈴木書店の生きた歴史を知りたいという思いで、生前親しくされていた栗原さんに執筆をお願いしました。JRCウェブサイトの事業概要にある、後藤さんによる創業の辞を一部ご紹介します。「……私たちは読み継がれていく本を、こころの財産となる本を、書店と読者に迅速に、確実にお届けします。本と情報の送り手として、作り手と売り手の考え、思いを双方に伝える仕事をします。どのように棚を作り、どのように本を並べ、どのように読者にメッセージを伝えるか提案します。本の流通改善へのかすかな波紋をいざなう一滴となることを願ってJRCを創業しました。人生のよきパートナーとなる、永く付き合える味わい深い本と出会えるために。」(事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2022年7・8月号掲載)

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