2022.02.28 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事24
  今日も明日も本屋日和
熊谷隆章さん(七五書店/愛知県名古屋市


 二〇一九年夏、書店で働いていてもう二度とこんな経験はないのでは、という出来事がありました。地元作家として専用のコーナーを作り、数年前から推していた大島真寿美さんが直木賞を受賞したのです。選考会当日は、結果発表のネット中継を見守るいわゆる「待ち会」も行ない、その様子も含めて多くのメディアで紹介され、しばらくはお祭りのような状態でした。

 取材では、専用のコーナーはいつごろからあるのですか、とよく訊かれました。これが、たとえば直木賞ノミネートが決まった時からだとしたら、紹介のされ方も反応も変わっていたのではないかと思います。地元の書店がひとりの作家を長く応援していたという事実には確かな重みがあったはずで、それが奇跡的に結実して、より劇的なものになりました。


 七五書店は、私にとっても地元の書店です。大学生になってアルバイトとして働きはじめ、卒業後もそのまま働くことになったのを機に棚の担当を持つようになりました。教えてもらったのは主に管理上必要なノウハウで、新しい方向性や細かい工夫はすべて手探り。参考にするために他店を積極的に見に行き、棚に手を入れてはお客様の反応を見て手直し。それまではどちらかというと本の多様なおもしろさを通して仕事の奥深さを感じていましたが、しだいに仕事のおもしろさから本の奥深さを感じるようにもなりました。

 その後、社員登用されて店長になることに。しばらくして、近くにショッピングモールができ、当店の倍以上の広さの書店が入りました。何か新しい手を打つ必要に迫られ、オーナーと話し合いを重ねた結果、売場をリニューアルして三分の二に縮小し、その空いたスペースで珈琲店(豆の販売&喫茶)を始めることになりました。

 売場を縮小すれば、そのぶん在庫を減らさなければなりません。七五坪から約五〇坪になること、そして新しい競合店が強力な総合書店ということもあり、コミックの比重を高くするなどジャンルを特化する方向性も模索しましたが、地元のお客様が多い立地では難しいと判断して、総合的なジャンル比率のままスリム化することにしました。コンパクトであることを強みにするため、まとまりを意識して日常使いしやすい売場を目指しました。

 一方で、競合店にはない品ぞろえの厚みを持たせることで、小さくても奥行きのある売場にできないか模索しました。書店は、物語も情報もはじめて知ることがいっぱい詰まった空間です。本の内容に心躍ったり、気分が安らいだり、ひらめきや知識を得たりするだけでなく、関心のなかったジャンルにふと目が留まったり、地元で活躍する書き手の存在を知ることもあります。大手出版社や人気作家ばかりではなく、中小の出版社や新人作家などにも目配りしていくと、お客さまにとってはサプライズにつながり、それが信頼を得れば、やがて期待に変わります。

 売場は、お客さまとのキャッチボールを繰り返し、時間をかけて育っていきます。地域にいくつかある書店のひとつとして、どれだけのお客さまに本を手にとっていただけるか。明らかに毛色の違うものが不用意に混ざると、空気が一瞬で変わってしまいかねないので、置くか置かないかの判断も慎重になります。当店は人文書とコミックの品ぞろえで好評をいただくことが多いのですが、このような地道な積み重ねが活きているのだろうと思います。


 アルバイトからはじめて二〇年以上、同じところで働いています。いくつも試行錯誤していくなかで、新聞・雑誌やテレビなどでご紹介いただくことも多くなりました。レジに立っていると、「新聞見たよ」「テレビに出てたね」などとお客様が声をかけてくださることもあります。ふだん通っているところや身近にあるところ、あるいは自分にとっていい思い出があるところがメディアで紹介されるとうれしいというのは私にも覚えのあることで、その場所やそこにいる人が自分のなかでどういう存在なのか、ということをあらためて意識する瞬間でもあります。そう考えると、よくいわれる「街の○○」というのは、規模の大小や業種などにかかわらず、それぞれの人にとって親しみのある街の、特別な場なのではないかという気がします。

 今日も明日も本屋日和。できる限りの力を尽くして、お客様に少しでも晴れやかな気分になっていただけたなら、本屋冥利に尽きます。


熊谷さんは「名古屋書店員懇親会(NSK)」の幹事をされていて、地元の作家や出版社との交流も棚づくりのヒントにしているそうです。小さな出版社の人文書への細やかな目配りも光ります。常連さんの中には、ちくさ正文館・古田さんの「古田棚」と向こうを張る「熊谷棚」と名づけ、本の背をくまなく確認するという方も。地元の人たちに頼りにされている街の本屋さんです。 (事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2022年2・3月号掲載)

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