2021.11.11 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事23
  「書店員の仕事」出前授業
市岡陽子さん(武庫川女子大学広報室/兵庫県西宮市


 約二〇年勤めた書店の現場を離れて二年半が過ぎ、現在は阪神甲子園球場から最も近い大学で働いています。約一万人の学生が学ぶ本学では、女子中高生の理系進路選択支援事業に取り組んでいます。「理系」とはしていますが、文理融合の視点から、中高生の皆さんに研究や仕事への興味、関心を高めてもらうために、近隣の公立中学校を対象に「出前授業」を行っています。「出前」先の中学一年生にアンケートをとると、さまざまな企業や職種の講演希望が挙がってきました。その中に「販売関係」として書店の仕事を知りたいとの声があり、二〇二一年三月初旬、元書店員の経験を生かし、出前授業に行ってきました。

 中学生は、自分の興味のある授業を二つ選んで聴きます。関心のある仕事だとしても、一年生約三〇人に約三〇分、飽きさせない話ができるのだろうかと大変不安でした。加えて私は「元」書店員です。「元」に講演依頼をする本学の担当課の懐の深さには感謝したいのですが、現場を離れた者の話など説得力に欠けるのではないかとの心配もありました。それでも、書店員を将来の仕事として考えている生徒さんがいる、そのことが本当にうれしく、「書店員の仕事」を正直に伝えたいと思い、過去の記録を繙き、記憶を呼び起こし、できる限りの準備をして臨みました。


 授業は「人の好奇心を満たす喜び―書店員の仕事―」とタイトルをつけました。目の前の生徒が感じているのではないかと想像する将来への希望や不安と同じ目線になりたい思い、自分自身の小学生のころの本屋さんの思い出から話し出しました。幼いころ買ってもらった本を持参し、奥付を一緒に確認しました。三〇年以上も前に出版された本が今も書店で売っていることのすごさ。本屋さんに行っていた昔の記憶が、書店員の仕事に出合わせてくれたこと。大事な仕事がたくさんあった中でも、本の仕入れに力を入れたこと。本を並べる仕事は、お客様と棚を通して会話をしているような感覚であったこと。お客様が求めていたもの以上の「何か」を書店で見つけてくれた時の喜び。書店での働き方のさまざまな形態。大変なことも多かったけれど、仕事のつながりを超えた仲間ができたこと。そして、書店員時代に養われた力が、現在の仕事にもつながっていること。本当にいろいろな場面の話をしました。詰め込みすぎて一方的に話をしてしまい、授業の組み立てとしては落第点だったのかもしれませんが、現場の先生方に助けていただき、生徒さんは最後まで静かによく聴いてくれました。

 質問の時間には、「ポップを書くときに気をつけることは」「古本屋はカバーがないが、新刊書店ではカバーがあるのはなぜ」「ISBNはどんな仕組みになっているのか」「ネット書店に勝つためには」「コミックはシュリンクしていると買わないので、試し読みができたらいいと思う」など、書店の未来を考える踏み込んだ意見や、「たくさんのジャンルを担当するのは大変ですか」「辞めたくなったことはありますか」と仕事のやりがいに伴う辛さを慮るような問いもありました。そこには真剣に自分の将来に向き合う中学生の姿がありました。


 後日、出前授業の感想をいただきました。

 「本屋さんの仕事っておもしろそう」「裏方さんの話が聞けてよかった」「書店員はとても夢のある仕事だと思いました」「本の仕入れ次第で店が大きく変わるので、書店員さんが大事だと改めて思った」。感想を読んでいると、書店の仕事を知ってもらうことは、お客様や将来の書店員を育てていく布石になる取り組みだと感じ入りました。「自分に合う本を見つけたい」「本一冊一冊にいろいろな人の思いや感情がある」「たくさんの本に囲まれるのはとても幸せだと思う」。中学生は本に向ける言葉も希望にあふれています。それぞれに本を思う気持ちがあるから、書店の歴史は続いてきたのだと思います。その長い歴史の中の一期間、書店に身を置けたことは本当に幸せな経験でした。

 現在の仕事場で冊子やガイドブックの並べ方を、さすが元書店員と褒めてくれた課内の先輩、書店員時代に執筆していた新聞連載を読んでくれていた他部署の方が「うちに来たのでびっくりした」と声を掛けてくれたこと。今回の出前授業も、書店員ならではの興味深い経験を請われたのでしょう。書店員の仕事は、自身の体験や思いを語ることが許される、どこか稀有な仕事ではないかと思うのです。そして、そのただ中には想像が及ばなかった書店や書店員に向けられる優しさや励ましが、本とともに過ごす生活から離れた私自身の小さな傷をときに疼かせることも否めないのです。

 今回の体験は、私自身の書店への思いを振り返るきっかけになりました。武庫川女子大学は母校でもあります。原点に帰り、新人職員として緊張感を持って働く日々です。図書館や学内のフリースペースでオンデマンド授業を視聴し、課題をこなす後輩たちの姿を頼もしく感じています。学生たちの人生の挑戦を、この場所で心から応援したいと思っています。本を読むことで増えていく、頭の中にある無数の点。その点と点を結びつける「線」のような存在に、私はなれたら良いなと思う。


市岡さんがやむなく書店を離れられるとお聞きしたときは、胸にぽっかりと穴が空いたようでした。現役書店員時代から、後輩を育てる仕事にもまごころを込めて取り組まれていた市岡さん。本紙に2度ご寄稿いただき、2011年1月号掲載の「今日もアナログ注文」は単行本『書店員の仕事』に収録しました。ぜひご一読ください。市岡さんの仕事への覚悟が伝わります。 (事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2021年11・12月号掲載)

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