2020.03.11 up 






NR出版会連載企画 
本を届ける仕事16
 大事なのは、これからのこと。
八巻明日香さん(鹿島ブックセンター/福島県いわき市


 未曾有の大震災から、丸九年の月日が経とうとしています。「まだ九年」なのか、それとも「もう九年」なのか。歳月の重みは、人によってそれぞれでしょう。

 正直に言って、私にとっての震災と、それに続く原発の事故は「昨日のことのように思い出される生々しい記憶」ではありません。なぜなら、私は被災していない……と言うと語弊があるかもしれませんが、震災当時は東京で暮らしており、津波の恐怖も、原発事故の衝撃も、何一つ自身では経験していないからです。

 家族がいわきに居るのですから、もちろん心配はありました。何もしてあげられない歯がゆさもありました。しかし、迫りくる脅威を我がこととして捉えるには、東京といわきは遠かった。自身の想像力不足と非難されてもしょうがありませんが、当時はあくまで「外」からしか見ることができなかったのです。普通に考えれば、それは幸運なことかもしれません。しかし、いわきに帰ってきて、周囲の人々の震災時の話を聞くたびに、思いを共有できない気まずさや、自分だけ安全な場所で平穏に過ごしてきた申し訳なさなど、言いようのない居心地の悪さを感じたものです。

 こちらに帰ってきてから出会った夫にも、「体験していないからわからないんだよ」と言われたことがあります。そのときの彼の言葉のなかに、私を非難する意図はまったくありませんでした。しかし、何気なく発せられたその言葉はいつしか澱となり、今も私の心に淀んだままになっています。そんな中途半端さを感じながら数年を過ごしてきたわけなので、今さら当事者ヅラで災後を語るのもなぁ……と思い、もっぱら聞き役に徹し、自分から進んで知ろうとすることもほとんど無かったように思います。

 そんな私の背中を押してくれたのは、ゲンロンから一八年に刊行された『新復興論』です。大佛次郎論壇賞を受賞されているので、ご存じの方も多いかと思います。いわき市小名浜出身・在住の小松理虔さんの著書で、地元ならではのリアルさで福島の現状と復興のビジョンをわかりやすく説いてくれている良書だと思って読んだのですが、その中にこんな一節がありました。

 「原発事故の当事者とは誰か。そんな問いは愚かだ。全員が当事者だからだ。東京で被災した福島出身者も当事者である。海外でニュースを見た外国人だってそうかもしれない。廃炉は一〇〇年がかりである。ならば一〇〇年後に生まれる未来の人たちも当事者であるかもしれない。」

 なんてこと。まさに私のことじゃないか、と。その一節ですべてのモヤモヤを払拭できたわけではありませんが、迷ってばかりの私を救ってくれたことは間違いありません。大事なのは、これからのこと。それなのに「当事者」という言葉に囚われ、視野を狭めてしまっていたのは私自身なのだと気づかされました。

 昨年一〇月に台風一九号が各地に大きな被害をもたらしたのは、記憶に新しいところです。いわき市内でもあちこちの河川が氾濫しました。家屋が浸水し、避難生活を強いられた人々もいます。避難を免れても、浄水場が浸水により停止してしまい、断水が続いた地域もあります。そんなとき、人々の口に上るのはやはり「震災の時は……」というものでした。ひとたび災害が起こると、瞬時にあの時の記憶がよみがえり、結び付いてしまうのです。そうして一度強く刻み付けられた記憶は薄れることはないでしょう。

 ならば、強く記憶していなかった場合、どうなるのでしょう。例えば、遠い場所にいてニュースでしか状況を窺い知れなかった人。当時はまだ幼くて周囲の状況を把握できていなかった子どもたち。そして、震災後に生を受けた子どもたちなど。時が経ち、その子が大人になったときに「ああ、そんなこともあったよね」なんて軽く流されるようになってしまうことだって考えられます。そうならないために、受け継いでいかなければならないもの。記憶の継承はとても難しいでしょうが、一番大切なことは、やはり経験者の声に耳を傾け続けることなのだろうと思います。

 震災時に津波と原発の被害を受けた浪江町の請戸小学校は、県内初の震災遺構に決定しました。また、いわきの薄磯海岸には震災メモリアル施設が建設中で、今年の夏頃をめどに開館予定ということです。これから一〇年、二〇年と過ごしてゆくなかで、それらの記憶が失われ、再び災害によって大事なふるさとの生活が奪われることのないよう、未来を担う子どもたちにしっかりと伝えていかなければと思います。

 最後に、三月から公開の映画「Fukushima50」について。店頭では映画のプロモーション映像を流しつつ、原作、映画ノベライズ本を販売しているのですが、それを見たお客様から一言、「観てみたい気もするけど、やっぱり観たくない」。

 それぞれに複雑な想いを抱えて、私たちは一〇年目を迎えます。


八巻さんには産休に入られる前、おととしの2・3月号の一面特集に執筆していただきました。そのなかの「いわきに住む書店員として、また母として、未来に何が残せるだろうか」という言葉が強く印象に残っています。今回、八巻さんにふたたびご寄稿いただき、私自身も、3.11直後を題材にした絵本『はしれディーゼルきかんしゃデーデ』(すとうあさえ/著、鈴木まもる/絵)を寝る前によく読みたがる子どもを隣にして、当時とその後のことをどのような言葉で伝えようか、そしてこれからのことを一緒に考えていけたら、とあらためて思いました。(事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2020年3・4月号掲載)

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