2017.12.25 up 






 ◎追悼・出版人をしのぶ
 出版人・稲垣喜代志とNRのこと
松田健二社会評論社代表

●稲垣さんの最後の仕事
 風媒社の創業者・稲垣喜代志さんが大動脈解離のため、一一月二八日に八四歳で逝去されたことをNR事務局から知らされた。ときどき電話をいただき、体調のことなどもお聞きしていたが、こんなに早く亡くなられるとは、思ってもいなかった。
 今年のはじめ、風媒社刊行の『マルクスとヒポクラテスの間――鈴村鋼二遺稿集』を、稲垣さんから献本された。オビに「郷里の緑の山野は消えた! 住民を大切にする為政者はもういない。一市民としてトヨタ城下町で奮闘する「名医」ここにあり!」と惹句が記されている名著である。改めて同書を手にして、「名医」を「出版人」と置き換えると、それは稲垣さんのことでもあると連想した。
 鈴村鋼二は六〇年安保後、東京大学法学部を卒業し、名古屋大学医学部に入学し産婦人科病院を開業する。鈴村が活動の拠点のひとつにしていた、地域に根差す自立派政治集団・豊田市政研究会は私たちの周辺でも話題になっていた。
 稲垣さんは同書に「私が編集の仕事にたずさわるようになってからもう数十年になるが、このような本造りに関わったのは初めてだ」と、巻頭言「鋼ちゃんの声が聞こえる」に書いている。鈴村鋼二の遺稿を集大成した同書は、日本社会運動史の貴重な文献になるであろう。出版人・稲垣喜代志の最後の貴重な仕事である。


●田中英男さんとの出会い
 今年の四月、大牟田出身で法政大学文学部を卒業され、稲垣さんと交友のあった田中英男さんと出あった。かつて『日本人の思想―農本主義の世界』(三一書房、一九六一年)の刊行で話題になった「緑衣の人」と言われていた筑波常治の単行本未収録の講演録を基軸に一冊の本にまとめたいと提案された。
 筑波常治は稲垣さんが法政大学卒業後、編集者として勤務していた日本読書新聞にときどき執筆していた。一九六五年ごろ私は法政大学で筑波先生の授業を受けた記憶があった。田中さんと本の制作過程で何度もお会いし、今ではその面影もない当時の法政大学の自由な雰囲気のことや、稲垣さんも入寮していた東京学生会館のことなどを話題にした。
 一〇月の中旬、『筑波常治と食物哲学』と題して、田中英男編著で農本主義者・筑波常治との対話集が出来上がった。折をみて稲垣さんと三人でゆっくりいろいろと話そうと計画していたところ、訃報が届いて残念がっています。

●ヌーベルバーグとしてのNRのこと
 出版団体NRの会は一九六九年に発足した。新泉社、風媒社、亜紀書房、せりか書房、盛田書店、合同出版、季節社、現代ジャーナリズム出版会で結成した。出版界のオピオンリーダーであった新泉社の小汀良久社長を先頭にヌーベルバーグの誕生である。
 社会評論社は一九七六年に協同組合に発展したNRに加盟する。経験豊かなメンバーのなかで、出版界五年たらずの私はさまざまなことを教えてもらい学んだ。
 一九九九年一一月にNR創立三〇周年記念講演で稲垣さんは発言している。
 「日本がおかしい。いまや人間社会の「倫理」というものが死語となりつつある。政・官・財の癒着による構造汚職に始まり、バブル崩壊による日本経済の破たん、さらには管理化・画一化による教育の混乱、デジタル技術の発達・普及による文化の変容―と、いま私たちはかつてない空前の事態に遭遇している。」(「出版の原点を問い続けて」NR出版会新刊重版情報、二〇〇〇年一月号)
 今日の状況を一九九九年に予言。まさに私たちは出版の原点が問われている。


1969年の「NRの会」創成期にかかわった方々に当時のことをインタビューした原稿が、未発表のまま手もとに残っています。稲垣さんにも4人がかりでお話をうかがい、同志たちとともに同じ方向を見つめながら出版に打ち込む、NR加盟社の生き生きとした姿を語っていただきました。名古屋に根ざし、生涯出版人として走り続けた稲垣さんのまなざしと声が忘れられません。(事務局・天摩)

(「NR出版会新刊重版情報」2017年12月・2018年1月号掲載)

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