2007.08.27..up
 
三元社 9月の新刊


潜在的イメージ
モダン・アートの曖昧性と不確定性
ダリオ・ガンボーニ/著、藤原貞朗/訳
A5判・上製・624ページ
定価 7,800円+税
ISBN978-4-88303-199-6




藤原貞朗(茨城大学人文学部准教授)

 モダン・アートの歴史にはときに首をひねりたくなる説明が紛れ込んでいる。たとえば、セザンヌは対象を単純化して画面に幾何学的な秩序を与え、抽象絵画への道を切り拓いたという説明がなされる。私(訳者)も美術史通史の授業ではついそんな説明をしてしまうが、セザンヌにはまったく逆に、対象をより複雑にして画面を無秩序にしたというべき作品が多々ある。晩年のモネも、ドガも、あるいはモローもルドンも同様に、具象とも抽象とも言い難い、曖昧で不確定的な作品を多数描いた。これはどういうことなのか。

 今日もっとも精力的に研究を発表している美術史家のひとりであるダリオ・ガンボーニの著書『潜在的イメージ』によれば、従来のモダン・アートの歴史は具象と抽象の対比(対立)を基盤に構想してきたために、両者の狭間にある曖昧模糊とした作品を検討することも少なく、また、具象中心の19世紀と抽象中心の20世紀には大きな断絶が設定されてしまった。しかし、曖昧で不確定的な作品こそが、じつは世紀の転換点から20世紀を通じてのメイン・ストリームを形成すべき問題系ではなかったか。本書は、この直感をもとにモダン・アートの歴史の再検討と修正をはかろうとする意欲作だ。著者はこれまで抽象美術と断定されてきた作品に直接対峙して分析を行い、曖昧かつ不確定的に現出する「潜在的イメージ」を浮かび上らせる。たとえば、有名なデュシャンの《噴水(泉)》。レディ=メイドの代表作として知られ、これほどなんらかのイメージとは無縁の作品はないかのようにみえる作品も、発表当時は「浴室の聖母」なる異名をとっていた。あるいはピカソやブラックのキュビスム。抽象への発展史において抽象的側面が強調されてきたが、その外見の背後に人物や静物のイメージが残存していることは言うまでもない。カンディンスキーやポロックにしても同様である。曖昧性と不確定性という観点からモダン・アートを眺めれば、具象と抽象のはざまにある中間的な造形作品がいかに支配的だったかがわかるだろう。

 しかし、ガンボーニの要点はイメージを探索してその存在を断定することにあるのではない。潜在的イメージとは、あくまでも不確定的な存在であり、作品と観る者との美的コミュニケーションのなかで生成しては消滅するものなのである。そして、美的コミュニケーションの関係のもとに不確定的なモダン・アートを眺めるならば、それ以前の絵画の歴史とも無縁でないことがわかる。ルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチのみならず、中国や日本の水墨画においても、曖昧で不確定的な絵画というメディアは、画家と観る者との対話のなかでイメージを生成する手法を洗練させてきたからである。ガンボーニは簡潔に過去の歴史も辿り、かつ、今日の状況にも言及する。21世紀に入り、現代の絵画は再び抽象と具象の断絶を克服したかのようにみえる。リヒターやポルケは具象も抽象も分け隔てることなく独特の絵画制作を行っている。こうした現存作家の解釈にも本書はきわめて有効だ。

 有名芸術家の絵画や彫刻のみならず、風刺画、判じ絵、いわゆる「狂人の芸術」、芸術写真、科学写真、映画などを含めて、本書が取り上げる作品数は400点弱。さらに、同時代の文学作品や学術研究書(心理学、哲学、美学)も作品受容分析の遡上にのせられる。膨大な量の作品分析によって辿られるガンボーニの潜在的イメージの系譜は、しかし、網羅的なイメージの歴史というよりは、これからの新たな美術の見方を提示する始まりの書といえるだろう。



ポール・セザンヌ
《ビベミュの岩と樹枝》
1900-04年、カンヴァス、油彩、61×50.5cm、プティ・パレ美術館。
Legs Ambroise Vollard. Photo Photothue des Muss de la Ville de Paris



マルセル・デュシャン(リチャード・マット)
《噴水(泉)》
1917年、失われたオリジナル作品を撮影したアルフレッド・スティーグリッツによる写真、23.5×17.8cm。
Photo Courtesy of the Marcel Duchamp Archives / Succession Marcel Duchamp 2000, ADAGP/Paris, ARS/NY




ゲルハルト・リヒター
《抽象絵画(848-10)》
1997年、カンヴァス、油彩、36×51cm、ロンドン、アンソニー・ドファイ・ギャラリー。




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