2006.01.31.up


 『引きこもるという情熱』を上梓してはや三年近くを経ているが、芹沢氏はかの著作の中であまり多くのことをいえなかったと感じているという。「これまで語られてきた引きこもり論からは、〈ある〉と〈する〉という存在論的な視点が欠落していたように思えるんです」。
 氏はドナルド・ウィニコットの「〈ある〉と〈する〉というあり方の二重性として人間は存在している」という考え方をよりひき寄せることにより、これまで自分が展開してきた引きこもり論を、さらに一歩推し進めることができるのではないかと考えるにいたった。〈ある〉とはまさしく「そこに存在する」ということであり、〈する〉という行為のより深く根底に横たわった価値観である。
 「〈ある〉が不安定なときに〈する〉は成立しない。これまでの引きこもり現象に対する理解というのは、〈する〉〈できる〉の段階が不可能になってしまうということでした」。
 〈する〉〈できる〉を唯一の価値観としてつくり上げられた自己を、氏は〈社会的自己〉と名づける。社会的自己が実現できなくなってしまうとき、われわれは自分の存在価値を見失い、自己肯定できなくなる。社会的自己が実現できなくなる状態とは、子どもの場合でいえば「学校へ行けなくなってしまった」ということになるだろう。そこからの周囲の対応は、「できなくなってしまったのだから、できるようにするため、治療だ、薬だ、引き出しだ」ということになる。
 できていたことができなくなってしまった、だからまたできるようにしよう、というのがこれまでの一般的な引きこもりに対する論点だった。そしてそれ以上の言説に深く踏み込んでいかなかった。
 「僕はそういう理解では引きこもり現象は解けないのではないかとずっと考えてきました。そう考えることができたのは、この〈ある〉が不安定なら〈する〉が上手くいくわけがないんだというウィニコットの指摘があったからです。〈ある〉は〈する〉よりももっと根底にある、いまここにいるということ、生きて〈ある〉ということそれ自体が価値があるのだという視点です。このことに気づくことができるならば、これまで唯一の価値として社会的自己をつくり上げてきた〈する〉〈できる〉ということを相対化することができるように思うのです」。
 引きこもりとは、この〈ある〉を回復するための、自己を自己として再構築するための期間だと氏は語る。氏の構築する『存在論的引きこもり論』は、これまで表層的にしか論じられてこなかった引きこもり現象理解に新たな一石を投じることになるだろう。

 また芹沢氏は、吉本隆明氏へのインタビューを柱にしたアンソロジー『還りのことば(仮題)』(三月刊行予定)にも、「存在倫理をめぐって」という衝撃的な論考を寄稿している。ここで氏は吉本氏によって提示された〈存在倫理〉という難解な概念を、存在論的な視点から具体化してみせている。その緊密に練り上げられた思想は、上滑りした議論ばかりの昨今には類を見ない本格的な哲学的論考として、読むものに心地よい戦慄を覚えさせるであろう。
 さらに、雲母書房からは今後『経験としての死』以来多くの読者から待望されている続編『死の講義・。』、『戦後家族史論』などといった著作の刊行を予定している。こちらも乞うご期待。

          

 

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